「タンホイザー」考

「タンホイザー」について書くと予告してしまったので、書かないとウソをついたことになりますから、うまく書けるかどうか自信ないですが、一応書いておきます。


タンホイザーは中世ドイツの騎士。
(実在した放蕩者らしい)
領主の姪、エリザベートと愛し合っている。
しかし、何故かヴェヌスブルクの主である妖艶なヴェヌスとの官能的な関係に溺れてしまう。
(舞台はすでに溺れてるところから始まるので、溺れた理由がイマイチわからない)
一旦はヴェヌスのもとを離れるものの、ヴェヌスによって教えられた快楽は、タンホイザーの中に根深く残り、忘れられない。
ヴェヌスブルクから戻り、エリザベートを巡ってライバル関係にあるヴォルフラムとの歌合戦に臨むのだが‥‥‥
歌合戦では、ライバルが讃える精神的な愛に対して、肉体的な快楽を讃える歌をもって応じ、それが人々の怒りを買って追放の憂き目に遭う。
タンホイザーは贖罪のためにローマへの巡礼の旅に出る。
(われわれ現代日本人には理解しがたいが、異教の女神に溺れるのはとてつもない大罪らしい)
しかし、教皇の許しは得られず、打ちひしがれて、あろうことか堕落の象徴ヴェヌスブルクを目指す。
タンホイザーを愛するエリザベートは、悲嘆し、タンホイザーに代わって、贖罪を我が身を投じて購う。
エリザベートの死を知ったタンホイザーもようやく目が醒め(遅い!)、エリザベートを追って旅立つ。


と、まあこんな感じのすじ運びの物語になっています。

   異教の愛=邪悪な快楽による結合
キリスト教の愛=清らかな精神的結合

という二元論がモチーフになっているのがわかると思います。

キリスト教的要素を取り去ると、この物語の本筋は精神的な愛と快楽的の愛の葛藤の問題です。
新聞の評にも「官能の愛か清純な愛か、二者択一を迫るオペラ」と書いてありました。

簡単に言えば、そうなると思います。
精神的な愛と快楽的な愛が合致すれば、何の問題もない。
個々の家庭の閨房の中の問題ですからね。
でも、ワーグナーはそれでは済ませられなかった。

彼は精神的な清らかな愛とヴェヌス的官能的な愛の不一致に自ら苦しんでいた。
最初の妻との結婚生活はしっくりしなかった。
二度目の妻となるコージマとの間には、コージマが前夫と離婚しないうちに3児を儲けている。
そして、コージマの前夫というのは赤の他人ならいざ知らず、ワーグナーの心酔者にして、ベルリン・フィルの初代常任指揮者ハンス・フォン・ビューローだった。
《さまよえるドイツ人》よ!

よほどの不道徳者でなかったら、自身の愛と性について悩まないはずはないでしょう。
この悩みは長じて突如始まったわけではなく、宿痾のようなものだった(はず)。

劇中で、ワーグナーはこの問題に答えを出してはいません。
表向きはエリザベートの身命を賭しての贖罪で「すばらしい!」となって終わるわけですが、それはキリスト教的倫理の問題として「すばらしい」に過ぎず、二元論の統一にはなっていない。
ワーグナーは解決のすべを知らなかった。

たぶん、自分の涙はそこに共鳴しているのだと思います。
精神的な愛と快楽的な愛と。
本来対立的なものなんですかね?
ワーグナーもそう考えてはいなかったと思う。
と言うか、対立的なものであってほしくないと思っていたでしょう。
なのに、自分は‥‥‥
だから、カトリックの倫理というオブラートに包んで世に問うた。
そうすることで得られるカタルシスがワーグナーの仕事のモチベーションだったのじゃないかとすら思います。
自分は同じことはできないですが、気持ちはわかる。
精神的な愛と快楽的な愛は自明的に合致するわけじゃないんだよ。
そこをわかってくれよというのがワーグナーのメッセージ。
そうだよね、わかってるよ、痛いほど、というのが自分の涙。
そういうことじゃないのかな。
と、思った次第です。

ちなみに、ワーグナー自身はこの作品に当初は「ヴェヌスブルク」というタイトルを付けたそうです。
官能的な愛、それが不道徳とされるキリスト教倫理の切なさが自作の主たるテーマだと思っていたのは明らかです。


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            ん? そうなの?




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この記事へのコメント

2021年03月06日 14:00
精神と肉体の二元論、官能的な愛が不浄で邪悪かというところは、キリスト教的倫理感のない日本人には理解しがたい・・・というか、肉体的な快楽は精神的な信頼感の上にしか感じられないと思うのは、男女差あるいは私個人の男性経験の貧困さでしょうか💦
そして、私がワーグナーの妻だったら(不遜なたとえ)、どちらかというと精神的に愛される方を望みます。
りう
2021年03月06日 22:48
みやさん

この記事は2つの動機で書きました。
1つは、日本の音楽評論家がキリスト教的な視点を捨象してタンホイザーを書いているのに不満を感じているため。
専門の西洋史家でも「宗教は苦手で」という人が少なくないので、仕方ないですけど。
それを無視しちゃダメだと思っています。

もう1つは、わが「ヰタ・セクスアリス」
ワーグナーがどんな嗜好の持ち主かは調べたことはありませんが、たぶんマイノリティだったと思っています。
芸術作品にはしばしば作者の自己が投影されている。
タンホイザーもそうでしょう。
その嗜好が何であれ、悩みは同じ。
増して、ワーグナーは19世紀のモラルの中で生きていた人です。
そこに共鳴したということです。

あんまり難しいことは抜きにして、こんな記事にコメントをくださったこと、そして「精神的に愛される方を望みます」とみやさんが仰ってくださったことには、やっぱりホッとします。